葦(アシ)にならないブログ

「人は考える葦である」 ただの葦にはなりたくないので考えた事を書くブログです。

議員が不足している?

今回もpolipoliというアプリからの話題を持ってきました。

ズバリ

「どうしたら、議員やってもらえますか?」

です。

 

 提案者はとある市議会議員の方ですが、本物の政治家が意見を集めるというのは本当に面白いアプリです。様々な議員(中央・地方関係なく)さんが参加していて、日本の政治もちょこっと変わっていくのかなぁと思っている所です。

 

すこし横道に逸れましたが本題に入ります。このとある市議会議員さんは「基礎自治体※で議員のなり手不足が深刻化している」とのことでどうしたらよいのか?ということでこの話題を投げかけています。

 基礎自治体で議員のなり手不足が深刻化しているという問題は全く知りませんでしたが、言われてみればそうだろうな~と思う所ではあります。というのも、様々なニュースや色々な媒体で、若者の政治離れが深刻化しているとか若者の投票率が低いとか言われているのに、議員になろうなんて考えている人はいないだろうという所です。

 

 個人的な経験に照らし合わせても、大学生にもなって議論が出来ない人や組織の運営をどう行うかを考えていない人が殆どで、議論や運営を行おうとしようものなら感情論に任せて、学問や全員の利益を無視して運営し始めるので頭が痛いものです。私の住んでいる寮は、年々この傾向は強くなっているような気がして、自分が所属している組織を自ら動かそうという気すらなく、ただ人の言いなりになっている方が楽と考えている人が殆どです。

 世の中に疑問を投げかけてそれを探求するのが大学生だと考えているのですが、それすら感じられませんから、議員になろうなんて考えている人はいないだろうなと感じます。

 

 それでは諸外国はどうしているのかといいますと、民主主義が進んでいる国として挙げられるのは、このブログでも取り上げましたが、ドイツやフランス、フィンランドデンマークといったヨーロッパ諸国かなと考えています。ここでは特に私の研究対象であるフィンランドについて触れますが、結論から申しますと幼少期からの主権者教育が民主主義の担い手(議員や民主的活動等)を育成していると言えます。

 フィンランドのとある基礎自治体のとある学校では、小学生段階の子ども達に給食のメニューについて議論させ、それを献立に反映するという取り組みを行っているようです。その他にも、学校の運営やクラスの決まりについても話し合わせ、現実に反映をさせています。

 つまり、話し合いに日頃から慣れさせるなかで、その成果を分かりやすく反映させる事がカギになってくるのではないかなと考えています。このブログでも取り上げましたが、民主主義は担い手育成のコストが実はかなりかかるのではないかと個人的に考えているわけです。日常的に話し合いの場を設け、その成果を反映させる場を作るのは並大抵の事ではないと思います。

 このコストを考えるとどうしてもパターナリズム※に陥りやすくなってしまいますが、子ども達は私たち大人が考えているよりもずっと成長していて、自分の身の回りをよく見ているわけですし、子ども本人の事は本人にしかわからないわけです。それを考えると、大人の側が子どもを信頼信用して任せてみるというのが大切かなと考えています。

 

 なにが言いたいのかと言いますと、民主主義の担い手を育てる教育機関があまりにもパターナリズムに頼りすぎているのではないかというところです。先生のいうことを聞いていればいいんだ!みたいな学校は一般的に多いと思いますし、議論をさせる授業も少ないです。学校の運営に子ども達は関われないことが殆どで、議論をさせてもさせただけで成果を現実に反映させないのは子どものやる気をそぐかと思います。

 

 そういった教育を小学校~大学まで受けていたら、議論も出来ず、自分の組織をどうしようと考える人が少なくなっても仕方の無いことだろうと考えています。

 

 話は逸れますし、ぶっちゃけますが、この市議会議員さんは自由民主党で、そういった教育を代々構築してきたのはあなた達与党だろうと突っ込みを入れたくなります。歴史の教科書の解釈をどうこうする前に、もっと根本的な所を改善していただきたいと考えています。

 

 簡単にまとめますが、議員のなり手を増やすためには、教育現場の状況を変える必要があるのかなと個人的には考えています。

 

 オチもなく書いておりますが、皆様の考えるきっかけになったでしょうか。

なったなら本当に幸いです。ここまで読んで下さりありがとうございました。

 

基礎自治体

 その国の行政における最小単位で、日本であれば市区町村が該当する。

パターナリズム

 父性主義ともいわれる。上の立場の人が下の立場の人に良かれと思い、その下の立場人の意思を無視して色々やること。

コトバンク パターナリズム

https://kotobank.jp/word/%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-114666

学校へのエアコン設置について

 考える材料をどう集めるかという事を考えている訳ですが、すごく良い物を見つけました。「PoliPoli」というアプリなのですが、実際の政治家や一般の方々が政治的な話題について提案したり、意見を述べたりするという画期的なアプリです。今回はこのアプリから拾ってきた話題について考えたいと思います。

 

 ズバリ「学校へのエアコン完備」です。

 学校へエアコンを完備するかしないかの前に現状はどうなっているのかを調べてみました。

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数字は%

以上のような形になりましたが、私が思っていたより多くの学校で設置されていました。グラフを見ると北海道や東北は気候もあってか殆ど設置されていない事がわかったのですが、奈良、愛媛、長崎辺りに関しては涼しいイメージがありませんが何故普及していないのか興味深いです。東京は流石の100%という所ですが、なにゆえ香川は普及率が高いのかちょっと面白いです。

 

 全体を何となくみると、各都道府県によって大きく普及率が違いますし、政令指定都市に注目しても普及率は高いような感じもしますが、強くそうであるとは言えないです。となると、税金の収入云々が関係しているとは言い難く、よく話題になるような税収による大都市と地方の格差はあまり関係無さそうです。しかし、関東は若干他の地方より高いような気がします。

 

 次に日本は昔に比べて暑くなっているのかという所ですが、日本の平均気温推移は以下の通りです。

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 やはり徐々に平均気温は上がっているようで、猛暑日の報告もニュースで大きく取り上げられるようになっています。また熱中症による救急搬送の推移も見つけましたので乗せておきます。

 

 環境省熱中症マニュアル

http://www.wbgt.env.go.jp/pdf/manual/heatillness_manual_1-3.pdf

 

 このグラフ(図1-6)を見るとわかりますが年々熱中症はかなり増えているようで、実際に日本が暑くなっているんだなとより感じられます。一方で、熱中症による児童生徒の死亡事故は年々減少傾向にあるようですが、死亡事故が減少しているだけで、発症者数は書かれていないという点には注意しないといけません。

 

 ここまで書いておいてなんですが、熱中症を発症するしない、死ぬ死なないの議論に走るのは少し違うかなと思っています。あくまでも、子ども達によりよい学習環境をどう作るかという所を前提に議論を進めていく必要があると思います。

「学校は勉強をするところだ」とはよく言ったものですが、暑くて、寒くて、勉強に集中できないのであれば本末転倒ですから、エアコン設置も含めてより良い学習環境の構築を考えていかねばと改めて感じました。

 ただ、日本も地域性がかなり強い土地ですから、気候を無視して無理やり全都道府県に設置してはエアコンがただ無駄になる可能性もありますので、気候条件をよくよく考慮して実質的平等を確保していくことが大切だと考えています。

 

 オチもなく書いておりますが、皆様の考えるきっかけになったでしょうか。

なったなら本当に幸いです。ここまで読んで下さりありがとうございました。

 

出典

・公立学校施設の空調(冷房)設備設置状況の結果について(平成29年6月9日)

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/06/1386475.htm

気象庁 日本の平均気温

https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/temp/an_jpn.html

環境省熱中症マニュアル

http://www.wbgt.env.go.jp/pdf/manual/heatillness_manual_1-3.pdf

ドイツで行われた「小学生のデモ活動」について

 今日も面白い記事を見つけました。COURRIER JAPONというニュースサイトでたまたまドイツの記事を見ていましたが、なんと、小学生が大人に対してデモを行ったそうです。

 

 スローガンにスマホじゃなくて私たちと向き合って」と掲げ、150名程度が集まったという事で、そこそこ大きな規模のデモが行われたようです。一般的な日本人からしたら、デモ活動どころか政治的な活動さえもあまりしないですから、小学生がまさかデモをするなんてと思います。ただ、特殊な例ではあるもののドイツではこういった活動を行える土壌があるところに驚きです。

 

 一般的なヨーロッパでは、民主主義がとても進んでいて政治の透明性が高く、市民の政治的活動も活発であると言われています。しかし、その一方で教育機関では子ども達にどうしたら民主主義的な市民として世の中に旅立ってもらえるのかという事に、力を注いでいるようです。

 民主主義は市民が考えるのを停止した瞬間に腐ってしまう大変デリケートな物だと私個人は考えている所ではありますが、そのためにも、幼少期の教育というものが大切になるのではないかと思っています。今回のケースは、ドイツの先生方が子ども達をちゃんと民主主義の担い手として育てているという事がわかった良いケースなのではないでしょうか。

 

 今回ドイツの小学生によるデモを受けて、我々の生活と政治活動(まつりごと)は非常に密接に関わっているという事を再認識しました。少し話は変わりますが、政治家の行動や言動、考え方というものは、日本では残念な事にトップダウンで我々の生活に降りてきますから、逐一監視する必要があると考えています。その際に、何らかの形で政治に対して意思表示をするための1つの道具として「デモ活動」があるのだと考えてます。

 「お上の事はお上の事で決めてください」という考え方は本来民主主義的な社会と相容れないはずなんですが、なかなかそうはなっていかない事が残念です。

 投票をしたらその場で民意を全て示したと思い込み、考えるのを終了してしまう人が世の中には多数いますが、そこで終わらずに当事者意識を常にもって政治家の監視や世の中の変化を敏感に感じ取りたいですね。

 

 オチもなく書いておりますが、皆様の考えるきっかけになったでしょうか。

なったなら本当に幸いです。ここまで読んで下さりありがとうございました。

 

出典

COURRIER JAPON

怒りの“やめろ”コール沸き上がる ドイツの小学生、大人に抗議して街頭デモ敢行

https://courrier.jp/news/archives/138011/

「人は考える葦である」について

 ブログの題名を付けるにあたって、今一度「考える葦」について調べてみました。

 

 パスカルの「パンセ」の中の言葉。「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」として、人間の、自然の中における存在としてのか弱さと、思考する存在としての偉大さを言い表したもの(1)。という事です。

 

 色々な所で聞く言葉でしたが、人を表した本当に良く考え抜かれた言葉だと思います。「パンセ」という本の中で出てくるそうですがこれも読まないといけませんね。

 

 「人間は考える葦である」という事で、考えるのを止めた人間はただの植物になってしまう訳ですが、そうはなりたくないので様々な事について人生を通して考えていきたいです。

 

 答えは出なくとも考えられる所まで考えて、その時点での答えを出す大切さは大学に入って一番身に付けられてよかったなと思います。結果が出なくても、そこに人間らしさと進化があるような気がしますが、今日多くの人が忘れている事かと思います。

 日本においては政治離れや新聞離れが大きく問題になりますが、個々人が難しい事から目をそらし、考える事を放棄してしまった結果かなと個人的には考えています。気を抜いたら私もそうなりそうなので、こんな事を書いているわけです。(別に答えなんか出なくても、出せなくても、ちょっと考えればいいのにな~と思ったりもします。)

 

 オチもなく書いておりますが、皆様の考えるきっかけになったでしょうか。

なったなら本当に幸いです。ここまで読んで下さりありがとうございました。

 

 

出典

(1)コトバンク 考える葦 小学館デジタル大辞泉

https://kotobank.jp/word/%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E8%91%A6-48491